過つは人の性、許すは神の心

元々英語(To err is human, to forgive divine)やったらしいので、訳もいろいろとあるようですが、
この諺を聞いてRestorative Justiceという言葉を思い出しました。
知ってますかね?日本でもあるのかな?
今のJustice system(法律?)って、
誰が悪いかを法・国が決めて、悪い人と決められた人に罰を与える。
被害者と加害者がややはじかれるシステムじゃないですか?
もちろん被害者はこんなことがあった。って報告しないといけないし、
報告しない事には被害と加害は成立しないんですけども。
時には、被害者に根掘り葉掘り聞いたり、
被害者攻めがある。
人前でつらい経験を訴えないといけない。
だから訴えない選択をする人もまだたくさんいる状況もあると思います。
やっぱり被害者は戦う勇気と体力とお金が要りますし。
ただ、被害者はそれで満足?
加害者は本当に反省して、もう二度としません。二度と相手に辛い思いさせません。ってなるんでしょうか?
色々と状況があるからなんとも言えませんが、
罰も刑務所から出た後、リベンジなんて考えを持つ人も、場合もあるかもしれません。
被害者も、自分でリベンジ。っていう考えが捨てられない人がいるかもしれません。
ドラマの見過ぎでしょうか。
ただ、リベンジって考えはだれも救われない感覚が残りませんか?
てかずぅっと続きませんか?
今でいう、どこかの国と国の戦争のように。
Restorative Justiceとは、
被害者と加害者が話し合って両者満足、社会復帰できる状況にすることを目的とすることです。
もちろん、状況によっては被害者と加害者がそんな簡単に会いたいと思えるわけではない事もあるでしょうが、
被害者の恐怖とか不安を日々抱えないように、
被害者の復帰が上手く行くように。
加害者も自分の行動の因果関係、被害者への対応、社会復帰を考える。
そしてさらに、
Communityとして、地域の人やら周りの人が被害者と加害者の話し合った結果を尊重する事。
までが含まれてます。
上手く説明できてるか不安ですし、ずれてたらすみません。
興味がある方はぜひ、自分でも調べてみてくださいな。
元々Indigenous(原住民)とかが社会問題、人間関係にこういう対応をしていたところから来たらしいです。
はて、
別に私が過ちを犯したとか、
許す側にいる状況は個人的には今はないのですが、
ニュースをみて、
なんとかハラスメントとかから始まり、
ネットの誹謗中傷とか、
事故とか、
不祥事とか、
悲しかったり怒りがわいたりな世の中で、
どれだけ社会的に神の心を持てるかってめっちゃ試されてるのではないでしょうか。
Restorative Justiceって、Communityの受け取り方も含まれてるので、Democracyな感じやなっとも思いました。

たまに思う事。でした。
締め。
”Happiness Depends on Ourselves”
(幸福は私達自身にかかっている)
By Aristotle
OneselfじゃなくてOurselvesっていう複数形のところがいいな。って思いましたとさ。


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