自分哲学
September 1, 2024•32 words
デジタルな世の中ですが、
私と大地くんは未だに読書デートします。
カフェに行ってお互い持ってきた本(しかも紙面です)をただ読むっていうデート。
オタク気味かもしれません。外でオタクアピール。なんのこっちゃですかね。
ただ、やっぱり今の時代は珍しいんでしょうね。
ちょっとお歳をめした方が嬉しそうに話しかけてきたりします。
「スマホを持ってないカップル、本を読んでるカップル久しぶりに見て感動したよ。話かけちゃった。」
的にちょっと大げさに訴えてきます。
まぁ、知らん人にも適当に話しかける文化ですから
何この人。っていう無視とか失礼な視線を送ったりはしません。
大地くんも紙面の本がいいよねー的に話に載ったり。
それで終わるときもあるし、
知り合いになり、友達になることもあります。
不思議なご縁ですね。
今日はそんな感じで出かけて、
ちょっと哲学的なお話を開始してしまいました。
書いたか忘れたけど、
大地くんは哲学を大学で専攻した人ですから、
考え方がちょっと学問的?論理的?です。
私みたいに自由な(詰めが甘い)妄想とは違います。
結構長い事一緒に過ごしてるけど、
話が尽きないのはこういう”もしも”話が真剣に出来るからかもね。
ありがたいね。
締め:
”彼の理解者であり、愛の対象となろう”
たぶん、大地くんの理解者で愛の対象に成れてると思う。
なんでそう思うかって?
なんでやろ?
私が大地くんの事を理解者で愛の対象やと思ってるから。
じゃ答えになってないですかね?
。。。って自分とDiscussion/自分哲学しながら消えます。
答えはいつかでる。。。かもしれない。(詰めが甘い、大地くんとは違うところ。笑)