間違っていることを指摘できる
May 24, 2025•45 words
DEIなどを学んでいて、
人が傷ついた、人種差別は悪い事。
ダメですと言える自分で居たいと思いつつ、
考えすぎる私は良い悪いの二択ではない世の中でもあると思ってます。
もちろん、
わかりやすい人種差別やら弱いモノいじめはこらーって怒らないといけないと思うのですが、
今日ACE*(Adverse childhood experience)の話をしてて
ジェネレーションによっていじめとかトラウマの捉え方が変わってくるのを考えると
昨日の髪を勝手に触るのが人種差別って知ってる人と知らない人がいて当然で、
間違いやでって今の大人に教えるのと
何も知らない子供には歴史もちゃんと知って欲しいのととかで
Educational momentにするのが教育だと思ってるのです。
ただ間違ってるでって言うだけだともちろん反発してしまうのが人間だと思います。
間違ってるでいって言われて素直におぉ。なんでやろか。なるほどね。
ごめんね。って言える人が人間できてるなって思います。
私もそういう人でありたいと思うのです。私もまだまだです。
俺の時代はよかったんやでっていう人はまだまだやなって思うし、
時代は変わるんやで。ついていかんとねって言える人が出来た人間なんじゃないでしょうか。
心理学の世界に、こんなストーリーがあります。
あなたの家は誰も喧嘩してないように見えるわね。
我が家はいつも言い合いばっかりよ。
仲が良い秘訣はなに?
と聞いたところ、
きっとあなたの家はみんなが正しいのね。
私の家ではみんな間違ってるからすぐ謝っちゃうのよ。
水をこぼしてしまった人が相手を責めるんじゃなくて、
水をそこに置いた人が「あらあら、紛らわしいところにコップ置いちゃってごめんなさいね。」と
あなたは悪くないのよ。私が悪いの。
っていうメッセージを送ることによって、
水をこぼしてしまった人も
あらやだ、注意散漫だったわ。ごめんなさいね。
と謝ってしまうことで喧嘩が起こらない。
という例。
水をどこに置くかの正解があるのか。
水をいつものところに置かなかったとかいつもの安全なところにおいてよーって指摘すると
水をこぼすという惨事を免れたのか。
何が言いたいか迷子になりそうですが
良い悪い。正解誤解。だけの世界の生きづらさを考え直しました。
*因みにACEは子供の頃の虐待とかの経験が大人になった時にどのような影響を受けるかの関係をリサーチするのに使われたものです。昔のブログにも書いた気もするし書いてない気もするので一応。
”謙虚なアピール。下手に出て全部謝る”
極端な言い方ですが、
心理学のストーリー的なものの引用だと思います。