マスキングとペルソナ

最近、Maskingという言葉を聞くようになった気がします。
マスキングとは、本当は違う感情を持ってたり、考え方をしてるのに、
周りに合わせる。ということ。
ちょっと前にSense of belongingにちょっと触れたと思いますが、
Sense of belongingは食事と同じぐらい人間には大事な事だと小耳にはさみました。
ボッチ。という言葉も聞きますが、
自分の感情を隠し続けるのと、
一人のほうが楽やし自分の感情にウソ続けるのはむりってボッチでい続けるのと、
まさに究極の選択なんじゃないかと思います。

それでいて、心理学に、ペルソナという方法(?)があります。
自分が苦手やなって思ってる事を、
得意な人に成りすまして嫌な事をやり過ごす。って感じ。
(記憶で話しているので細かくは間違っているかも)
例えば、
研究が好きけど、それだけでは生計が経たず、先生もやってます。て人がいたとします。
でも人前で話すのは嫌い。
でも生きていかねば。
研究好きって細かい事コツコツやる。人ともそんなにしゃべらない。
そんな自分らしさで先生をしても誰も相手にしてくれない恐れがあります。
そこで、人気の先生は大体しゃきしゃき、明るくおしゃべり。
姿勢が良い。
堂々としてる。
何かしらの癖がある。(これは私の偏見ですが、特徴がある先生って好かれませんか?)
など、何かしらキャラを作り上げ、
その性格(ペルソナ)をまとって授業に向かうと、
嫌けど、先生ペルソナで生き延びるというか、何とかなる。
という不思議な現象。をうまい事使いこなす事。

ここで、ペルソナとマスキングの違い。
ペルソナは自分で作り上げることができるし、
時と場合に合わせるとかコントロールできるけど、
マスキングは、人に合わせることが目的なので、
逆に不安、不満がたまっていくんではなかろうか。と。
極端に言えば、ウソをつき続けてる状態。
しんどいやろうなぁって思います。
誰か一人でも、自分らしく、自分のままで入れる人がいますように。って思います。
”自己愛をみたしたい生き物”by コフート
他人に愛されて初めて、自己愛が満たされるのである。

締め:
”人間関係でうまくいかない時、「この選択は相手と自分のどっちの幸せのためだろうか?」と問いかけてみよう”
正解は書かれてません。
私はどっちの幸せをとっても正解だと思いますが、
大きく見て、自分の幸せの方を選択してよいと思います。
相手が幸せなら私も幸せ。っていうのが大正解だと思うのですが、
相手しか幸せにならないなら、NOとか意見を言っちゃおう。
今は変な空気が流れるかもしれませんが、
長い目で見て、あ、この人この前こう言ってたな。
って距離を取ってくれるかもしれないし、意見を尊重してくれるかもしれないし、聞いてくれるかもしれない。
自分の幸せにつながるかもしれないし、
自分の幸せは相手の幸せも呼ぶ。は、結構正解かもしれない。


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