Sense of belonging

CenteringとOtheringって言う言葉をよく聞くようになりました。
Centeringというのは、自分が世界の中心と思う事 と言うのが過言なだけで、
まぁすべては自分が見るもの、行動、考え方、が正しいと思う事。
自分が心地よく暮らしてて、だれも邪魔をしないというかだれも反対しない暮らしや視点。
Otheringというのは、
日本で言う、うちそと。のそと。かなと思ってる。
まぁよく言って、他人事。のこと。
悪く行って、差別。です。
Otheringの中間は’そうじゃない人’って感じなのかな。
つまり、マジョリティに当てはまらないで、居心地が良くない人。
Centeringする人は、Otheringをして終わってしまう。
Otheringされた人は、いつの間にか、自分が人と違ってるから悪い事なんかな。
みんなに合わせないと。でもみんなと同じことができない。っていう、
Oppressionの域かも。
例えば、私がGender Queerだとして、
女性として認識してない、別物。Otheringされた。とかでいうと、
私の居心地の良い場所、人、がやや狭まります。
Sense of belongingを感じないから。Sense of belongingは、所属意識?安心できる場所、時間、人。
でも、心地よいと思える時間、場所、人が近くにいるだけでも救われる事って多いんだと思う。
そういう時間を作るということが、昨日の話に繋がるけど、
セルフケアの一部。
これもまた、だいぶ端おってしまってるというか
私の説明が下手な可能性が大なのですが。

CenteringとOtheringが起こったあと、じゃぁOtheringも含めた大き目なCenterにしちゃえ。
と思ったのです。
今日このことを思ったのは、
車椅子に乗ってる人が、
この歩道ができるまで、私は障害者ではなかった。
と言ったんです。
五体満足な若者だけ(Centering)で歩道つくったら段差ができた。
車椅子が歩道を使えないから障害者というOtheringが起きたという事です。
ちゃんと段差のない部分を作っておけば、車椅子利用者は障害者ではない。という主張。
私の説明あってるかな?
車椅子の人も建物の中に簡単に出入りできるように階段とスリープっていうんけ?坂にする。
車椅子じゃない人も、膝に負担を掛けずにスリープ使って建物に出入りできるやん。
若者も階段かスリープかのオプションが増えるだけ。
階段だけだと建物を使える人を制限しちゃうけど、
スリープはみんなが使えます。
こうやってCenterが広がると、Sense of belongingも自己肯定感も上がるかなぁ。
って思いました。
言いたい事が行ったり来たりしてますが、Inclusionのお話をしてみました。

こんな引用も見つけたのでそれで締めましょうか
”自分の中での問題はどうやって他人にもプラスになる方法でそれを実現していくか”

車がたくさん通ると危ない。歩道を作れば歩く人も安心するんやない。
までは良かったけど、
車椅子、膝が悪い人。という他人にもプラスになる方法で実現したらより、良いんでしょうね。
だからDiversity,とかInclusionって難しく考えず、みんなが幸せになる事なんやと思ってみませんか。


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